「思い出」に関する日記

まあだいたいお出かけ系の日記。

無題

社内研修でした。
桜の木の下に、酒と食べ物を持ち寄って。

無題

知人の結婚式に出席していました。
あまり事細かに書くのもどうかと思ったので、簡単に箇条書きで。
・新郎の父親がものすごくダンディー
・やけに異国情緒あふれる顔立ちと名前の少年少女
・賛美歌がわからない
・飯はうまかった
・新婦の感動的な闘病話

遠足日和

なかなかのぽかぽか陽気でした。
遠足に行く子供をよく見かけましたなー。

無題

うちで飼っているインコが死にました。
思えば12年間もよく生きたものです。

浮き輪サーファー

一日目:
準備には出席せず旅行にだけ参加するのはどうかと思ったが参加費を払っている以上行くことにした。
自動車に分乗して鳥取へ。
途中山を越えるとき、昼ごはんに流れる川の上の流しそうめん屋で流しそうめんを食べた。
一般的にイメージされる、流れるそうめんを途中で掬い上げる方式のものではなく、終着点で待ち構えて掬い上げ、掬えなかった分は自分のざるにたまっていく方式だった。
イベントなどでみんなで一斉に食べるのではなく、一人一人前を基準にしているからこういう方式になったのだろう。
着いたらさっそく海へ。
海は浅く、波は荒かった。
少し離れたところに小さな島が見えたが上陸は別の日にして、とりあえず泳ぐことにした。
少し泳いだ後、皆で陸に上がって休憩を取った。
そのとき、先輩の一人(以後よく出てくるので彼)が、砂ってあったかいなと言ったことがきっかけで埋められた。
そして調子付いた我々は寝かして埋められた彼を覆う砂を人の形に細工して、まあ誰でも考え付きそうな面白い体格が作られた。
彼は休憩中に2本飲んだビールのためか、ずっと笑顔だった。
砂から出た彼は、その後しばらくフリスビー投げをしていたのだが、それで酔いがまわったのか、完全に酔いつぶれてしまった。
石に頭をぶつけてもやっぱり彼は笑顔だった。
そんな笑顔のままぐったりと横たわる彼を見て民宿の人が溺れたのかと思ってこちらへ来てしまった。
だが、酔っ払っているのに海に入ろうとするのを止めるために再び埋められた彼を見せて事情を説明すると、納得してくれたようだった。
夜は民宿でやたら豪華な夕食を食べた。
酒は好きではないのでビールは飲まないといったら本当にお茶を用意してくれた(ちなみにビールは民宿のではなく講座で勝手に持ってきたもの)。
話をわかってくれすぎてちょっと怖いが、まあ無理に飲まされるよりは遥かに良いだろう。
その後の宴会ではさすがにいつまでも遠慮しているわけには行かないのでチューハイを少し飲ませてもらった。
もっとも、その何倍もの量のソフトドリンクを飲んでいたのだが。
そして、アルコール度数40%のウォッカ(一口分)の回し飲みが始まったのだが、私はビンが空く直前の最後の分だったためか若干多かったようだ。
注射の前の消毒のようなにおいだったが、意外とすんなり飲めてしまった。
某先輩は酔った勢いでピーナッツを猛烈な勢いで食べまくったり、周りがやめろといって阻止しようとしたのを振り切ってチューハイを混ぜて飲んでしまい、また酔いつぶれてしまった。
そして彼はいつ吐いても大丈夫なようにとトイレに連れて行かれたのだが、吐かずに寝てしまったらしい。
私は宴会のあと何もせずすぐに寝た。

二日目:
この日は丸一日泳げる日だった。
昨日上陸し損ねた島への上陸をすべきか昨日にも増して高くなった波に乗るか考えたが、とりあえず最初は島への上陸を試みることにした。
藤壺が多くて裸足では上陸できないと聞いていたので、サンダルを持って泳いでいった。
ウニもいるようだったが私には見つけられなかった。
島に上陸して気が住んだ私は、浮き輪を持って遊ぶことにした。
泳げるし足もつくのだが、浮き輪に乗って波に乗るのが楽しいのだ。
浮き輪に乗って都合の良い波に乗り、後はひっくり返らないようにバランスを取るのだ。
言ってみれば、浮き輪サーフィンというところである。
昼食は浜辺で弁当を食べたのだが、焼け付くような日差しが日焼け止めクリームを塗った肌にすら痛かった。
その後もずっと波乗りに挑戦し続け、ひっくり返ったり投げ出されたりうまく波に乗れたりもした。
夕食は相変わらず豪華で、この日は勧められたので少し酒も頂いた。
夕食後は一日目の続きで花火を打ち上げた。
一日目の分には書いていないが、一日目は途中で打ち上げ用の筒が詰まり、最後まで終わらなかったのだ。
大きな花火が何度も打ち上がり、その下で同期の人からコミュニケーション能力の低さについてお叱りを受けた。
そのときあたりから、海で体を冷やしたか夕食での酒が効いたのか、はたまた少し便秘気味なのにたくさん食べたせいかお説教が痛かったせいなのか、体調を崩して気分が悪くなってしまった。
その後の宴会の前に便所に行ったら治ったところを見るあたり、便秘と食べすぎが原因だったらしい。
ともかくその日はみんなが気を遣ってくれて、大量に残った酒を消費しなくてはならないのに無理に飲まなくてもいいといってくれた。
そんなわけで、同じくあまりまくったお菓子をたくさん食べていたのだが、そのうち周りが飲むのに疲れてくると、全員が酔いつぶれてしまったら後は頼むと頼まれてしまった。
一応体調が回復したので少しだけ飲んだのだが、やはりそれ以上に大量にお菓子を食べ、ソフトドリンク類を飲んでいた。
この日もすぐ寝た。

三日目:
つまり今日だ。
朝起きて朝食を取り、民宿を後にして鳥取砂丘へ。
海岸とは少し質の違う砂で、遠くのほうにあった丘のほうへ向かった。
登りやすい緩やかな坂と挑戦者を待ち受けるような急な坂があったので、もちろん急なほうを上ったのだが、やはりとても疲れてしまった。
馬車やラクダには乗らず、砂丘から勢いよく飛び降りる外人を見ながら砂丘をあとにした。
その後は車ごとに各自好きに観光しながら帰れば良いということだったのだが、乗っているメンバーがメンバーだったので、特に寄り道せず、まっすぐ帰ることになった。
帰る途中に寄った店で梅とろろざるそばを食べたのだが、仲間が少し残したのでその分も食べた。

そこで死ぬ人珍しいですよ

土日で従姉の結婚式と祖父の喜寿祝に行ってきました。
うちには従姉が二人おりまして、片っぽは前に結婚してもうすぐ二歳になる娘がいて、土曜日はもう片っぽの結婚式でした。
式はキリスト教の方式でやったのですが、神父さんが日本語も英語もカタコトで、新郎新婦は緊張のためかぎこちなく。
披露宴では、蟹のパイ包み、アンキモムース、プチシューチキンクリーム、七面鳥とフォアグラのガランティーヌ野菜のブーケット添え、花野菜のクリームスープ ポロネーズ、鱸とオマール海老のポワレ 冬野菜と共に、金柑のソルベ、和牛のフィレステーキ ラディッシュソース クリスマスの雪に見立てて、ヨーグルトムースとイチゴの取り合わせ フレッシュフルーツ添え、を食べました。
食べるのに精一杯でお話聞いてませんでした。ごめんなさい。
最後は盛大に花火で締めくくりとなったのですが、どうにも雨が降っていて式場始まって以来の中止になるかもしれなかったとの事です。
まあ、ともかく、そんなに豪勢でいいのかと思うほどの、式と披露宴だったということです。
二次会で出された料理なんてもう食べられませんよ。

日曜日にあった祖父の喜寿祝のほうはというと……いや、失礼ながら……先に結婚したほうの従姉の娘のほうが主役だったような雰囲気がありました。
いや、かわいいんですもん。
鼻水娘ですけど。

んで、月曜日の本日は、家に帰ってきまして、ふにゃさんの操作説明を一通り作り終えました。
基本的に、操作方法を説明して、その通りの操作をしたら先へ進むのですが、想定外の操作などもあるので、想定外の操作をできなくしたり、した場合の分岐を作ったりもしてました。
例えば、バナナを取る場面でとげとげにぶつかってしまった場合とか。

あのころの迷作

工場見学に行ってきました。
うん、バイオハザードでゾンビがうろついていそうな工場でした(どういう形容やねん)。

そういえば昔のフロッピーの整理をしていたら小学生の頃に作ったくだらないプログラムが出てきました。
元祖バナナゲームとか、変な文章を作成するツールとか、そしてドキュメント中でことさらに年齢を強調。
再配布規定などもあったけど実は一時配布すらしていなかったり。

404 Not Found

昨日、熊本にいる従姉の結婚式に行きました。
しかし、大雨のため、電車が30分遅れに。
一応1時間の余裕を見ていっていたので式には間に合いました。
キリスト教の教会で式があったのですが、新婦が保母(保母・保父という表現が差別を有無とは思えないので保育士という表現はせず)だったためか、式に一緒に参加していた保育園の子どもたちのために仏教にある話をされていました。
えーっと、新婦でも新郎でもないですよ。なんて呼ぶか忘れちゃいました。
賛美歌3番まであったのに2番までしか伴奏がつかなかった。
で、基本的には滞りなくほぼ予定通りに進んだわけですが、新郎新婦退場のときに子どもたちが「おめでとう!」って口々に言うんですね。
キスのときに騒ぎ出したり、素直に「先生」の結婚を喜んでいる子どもたちってなんかいいですね。
その後疲労宴、いや披露宴でした。
酒は飲みません。でもたくさん食べました。
新郎新婦は沖縄好きの模様。沖縄関連のイベントがいろいろと。
2次会は行きませんでした。レポート書かなきゃいかんので。
夜はホテルに泊まったのですが、「死に」に繋がる402号室、4が連なる404号室はありませんでしたね、やっぱり。
事件があったため取り壊されました。だったりして。
今日は帰ってレポート。

あの惨劇は忘れねばいけない

「ふにゃふにゃ」のBGMにビブラートをかけてみました。
モジュレーションを使ったのです。
Piccolo の音がなんか幽霊みたいになってしまいましたけど。

世界史の特別授業で、模試の過去問としてこんな正誤問題が出ました。
"ジェノヴァ出身のマルコ=ポーロが中国を訪れ、フビライに使えた。"
ジェノヴァ出身のマルコだったら「母を訪ねて三千里」です。

明日から二日間大学入試センター試験です。
しっかり回答欄を埋めてきます!

兵庫県南部地震から今日で8年になります。
なんか周りの人は「この震災の惨劇は忘れてはならない」などと抜かしている馬鹿がいますが、被災者の一人である私の立場から言わせてもらえば、こんな残酷なことはないと思います。
確かに震災により得られた教訓は是非とも記憶しておくべきですが、惨劇そのものは、崩れ、焼け落ちてゆく家を、愛する家族が死んでゆく様子を、覚えていろとはどういう神経なのでしょうか。

震災前日

8年前のこの日のことはよく覚えています。
えっ、明日の間違いじゃないかって?
震災の前の日で間違いありませんよ。

そう、あの日はとても寒い日でした……
あの時母と一緒にJR新長田駅の前だったと思うんですが、ローソンでピザまんだかカレーまんだったかを食べていたんですよ。
確かあの日は3連休の最後の日でしたね。
その日は何故か学校に行く次の日が楽しみだったのです。

ふぅ、今日はちょっと気分が悪いんで……

鉛筆と消しゴムに裏切られた日

たまには題名をつけてみるのです。

今日問題集を解いていましたところ、シャープペンシル(以下シャーペン、実はメカニカルペンシルと言うのが正しいらしい)の芯が出にくくなりました。
だから芯が出るように軽く振っていると(カチャカチャ振っていても芯が出る)、相変わらず出てこなかったので、今度はこれでもかと言うほどに滅茶苦茶に振ってみました。
やっと出てきました。
が、何か様子が変です。
よく見てみるとシャーペンの後ろについているキャップが外れて芯が全部周りに飛び散ってしまっているではありませんか!
私は芯を再び拾い集め、紙に何かを書いてみました。
パキッ!
わずか1ミリしか出ていなかった芯はいとも簡単に折れました。
もう一度苦労して芯を出し、折れないようにして何かを書きました。
ビリッ!
今度は紙が破れました。
私が泣きそうになりながら消しゴムを取り出し、書いたものを消そうとしましたが、なぜか今日に限ってその消しゴムは真っ二つに割れてしまいました。
しかもその割れた消しゴムでもう一度消そうとすると、白い消しゴムで別に汚れてもいないくせに紙を汚してしまいました(もちろん消しゴムがですよ)。
その上その消し…もうやめます。

これ、実際に今日起こったんですよ。